フリーペーパー「1010」誌に掲載されていたエッセイのバックナンバーです

湯曼陀羅 ~YU MANDALA~

「オギャー!」という第一声とともにこの世に生を受けた赤ん坊は、まず産湯につかります。これは人生の始まりにあたって、「清めの沐浴」という意味合いがあるといわれています。そして人が死ぬと、往生浴として遺骸を湯で拭き清めます。仏教で「湯灌(ゆかん)」と呼ばれる人生最後の沐浴です。つまり風呂に入るということは、多くの日本人が人生で一番最初と最後にする行為なのです。あらためて考えると、風呂というのはとてもありがたいものです。
日常生活ではないものの、日本に限らず外国でも多くの宗教活動において、清めやみそぎの儀礼に風呂の空間と効用が用いられています。そんなことで風呂と人間……特に日本人の生活に、風呂はとても深い関係があるのです。
さて、左の図。これは、そのような風呂が持つ意味をキーワードにして図案化した「湯曼陀羅(ゆまんだら)」です。曼陀羅のデザインを借りたこの図案は、私の湯空間設計に対する概念を表わしたものでもあります。私は基本的に風呂というのは、「風呂=BATH=場素」、つまり人が素(最も美しい状態)に戻る場だと考えています。これは上に書いたように、沐浴に通じるものです。そしてまたそれは生と死に深い関係があります。さらに日常的に身体の衛生を保つこと、つまり体を洗うことにも生死の関係が存在します。ここでは古い細胞が洗い流され、新しい細胞が体の表面に皮膚として誕生します。細胞の生と死です。そして心の面……「気持ち=気」という点から考えた場合、同じように疲れた「気」が捨て去られ、新鮮な「気」が心にもたらされます。これはリフレッシュといわれる「気」の再生です。そういう意味で、風呂場は「生」と「死」が交錯する場だといえます。
「生」と「死」というキーワードに限らず左の「湯曼陀羅」には、そのような風呂が持つ意味がちりばめられています。機会があればそれぞれのキーワードに関しての説明をしたいと思いますが、今回はすべてを説明するスペースがありませんので、読者の皆さん一人一人の中で、図中のキーワードが風呂とどんな関係にあるのかを、じっくりと考えてみていただければと思います。
長々と書きましたが、そんな理屈をまったく忘れすっかり気持よくさせてくれるのが、実は風呂の一番よいところ。湯が多くて空間が広ければ風呂のよさは、また一層です。そんな気持よさを日常的に享受できるのが、そう! 銭湯ですよね。21世紀は、あらゆる社会的なゆがみからくる心身の病からの癒しが一層求められることと思います。現代社会が風呂の持つ意味をもう少しだけ深く理解し始めた時……銭湯が再び意味を持ち始めるのではないかと思います。

(2001年 1010誌52号の掲載バックナンバー)